水神さんとフカ切り岩

(すいじんさんと ふかきりいわ)

 六甲(ろっこう)の山中、ほそうされた細い道路、カーブの手前のりょうがわの谷川に、弁天岩(べんてんいわ)とフカ切り岩がある。
 弁天岩といわれる大きな岩は、水の神さんをおまつりするところに、でんとある。

 むかしは、このあたりは静かで、きれいな水のながれとるところであったが、今は、車のいきかう音で、静かさがうしなわれている。
 道路をへだてたむこうがわの谷に、平らな大きい岩がある。この岩がフカ切り岩とよばれてる。
 そのころ、あしやの里は、水に苦労しとった。ほとんどが、米作りの農家であったので、雨がふらない年は、いねが育たずにこまりはてた。
 そんな時は、村人たちは、山の水神(すいじん)さんにおまいりにいって、
 「どうか、雨をふらして下され」
と、おねがいをした。そうすると、よく雨がふった。

 ところが、ある年、水神さんに、いくらおねがいしても、少しも雨がふらないことがあった。
 あつい日でり、田に水がなく、地われがし、いねはきいろくなった。
 そんな田のようすに、村人はもうしんぼうできなくなった。百日近くも、水神さんに、おたのみしてきたが、のみ水にもこまるようになってきた。そこで村人は、あしやの里にすんでいる山伏の彦兵衛(ひこべえ)さんにおねがいにいくことにした。

 彦兵衛さんは、六甲山(ろっこうさん)などの山々で、しゅぎょうをつんでいる人で、さっそく、雨をふらすための「フカ切り行事」をすることにした。
フカ切り岩
芦屋のフカ切り岩

 村人たちは、はるか沖あいから フカをとってきて、山の水神さんに、お供えをした。フカは、平らな大きな岩の上におかれた。

 そして、彦兵衛さんは、七日間、いっさい食べものを口にしない断食の行をはじめた。(あしやの村人たちが、水で大へんこまっているのだ)と、死にものぐるいで、おいのりを続けた。けれど、一てきの雨もふらんかった。

 その三日目の夜、彦兵衛さんは、そなえられたフカのおなかを、大きな包丁で、つきさした。血は、どっと岩の上を流れた。
 血は集められ、水神さんがおまつりしてある弁天岩(べんてんいわ)に、ふりかけられた。
 さあ、水神さんは、おこらはった。ムチャクチャ、はらをたてはった。いつも清らかな水の神さんや。
「フカごとき魚の血をふりかけられるやなんて、とんでもないことや。」
と、おいかりになった。水神さんは、けがされたと思われたんや。

 そのいかりは、すぐあらわれた。
 一天、にわかにかきくもり、山頂あたりから、むくむくと黒雲がわき、大音きょうがし、ピカ、ピカといなずまが、走りまくった。
 そして、待っていた雨が、それも大雨が、天地をひっくり返すほどふりだした。

 村人は、その雨を見てよろこんだ。だきおうてよろこんだ。
「雨や、雨や、めぐみの雨や。」
「助かったぞー。」
 そんな声があちこちから聞こえてきた。
 大雨は、また血で汚れた大岩をきれいに、あらい清めてくれた。
 雨がすっかりやんだとき、村人は、水神さんにもうしわけないことをしたと気がついた。

 おいかりの雨であったが、あしやの人たちにとってはすくいの雨やった。雨をふらせていただいたことに感しゃした。そして、以前にもまして、山の水神さんをうやまい信心するようになった。

 そんなことがあった、水神さんは今、芦屋神社の古(こ)ふんのそばに、ひっそりとおまつりされている。
 水神さんも、村人がないてよろこび、たくさんの命をすくったことになる「フカ切り行事」を、広い心で、お許しになられたにちがいない。
フカ切り岩と弁天岩周辺の地図
フカ切り岩と弁天岩付近の地図
(芦屋市広報課発行「プロムナード芦屋」裏面の
「芦屋市全図」より)

(校正未了)


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